2月5日に、娘が二人目の子供を産みました。
わずか妊娠6ヶ月での出産です。なかなか話せる勇気がなくて今になってのご報告です。
普通に6ヶ月の検診に行った日、突然子宮口が開いてきているのがわかりました。緊急手術をその日にし、絶対安静となりました。
トイレもご飯も寝たままです。
都内の普通の個人病院だったのですが、世界にも産まれて育った例がないらしく受け入れをしてくれる病院がありませんでした。1週間入院しましたが、その間娘の状態もあっという間に悪くなりました。点滴などでどうもお腹が収縮しないように筋力を落とす薬剤を使っているため、話すこともままならなくなってしまいました。見ていても痛々しい・・・・・
出血もあり、抗生剤も入りました。
転院した大きな病院先では、子宮口を縛った上にさらに直接薬を入れて感染の拡大を防いだようでしたがそれでも最後大出血して2月の5日の朝、また緊急手術です。
6ヶ月で生まれた我が孫は、わずか700グラムの小さな男の子でした。あの日は雪の降る、寒い日でした。
まだ人工呼吸器に繋がれているため、泣くことさえもできません。
ミルクを飲むこともできないため、直接、胃に管を挿入して母乳を流し込んでいます。だんだん状態が悪くなったらしく、体重も落ちたために、直接腸に流し込んでいます。
退院した娘から、ある夜電話がかかってきました。
初めて、親子で泣きました・・・・
娘は、こんなに早く産んでしまった自分を責めていました。お腹も切って痛く、体力もなく、母乳もあまり出ないというのです。自分にできることは、おっぱいをたくさんあげることなのに、それさえもできないと・・。
今まで、4人兄弟の一番上で面倒見も良く気丈な娘でしたが、本当に弱々しくて心身ともに参ってしまっているようでした。励ますにも、私もつい泣くしかなかったあの晩でした。
それでも、今、娘は毎日頑張っています。そして小さな命も必死に頑張ってくれています。上のお兄ちゃんはすでに12歳になっていますが、ママともしばらく面会謝絶でしたし家では家事も手伝い頑張ってくれました。
だから、私も家にいてゆっくりしていられませんでした。だって、考え事をしたくないんです。何かして自分も頑張らないと!っていう気持ちです。居ても立っても居られないものでした。余計なことを考えて案じてもしょうがない。
親の願いはたったひとつ。子供の成長を見守ることです。男でも女の子でも、どうでもよく、とにかく健康ですくすく育ってくれることです。
こないだ、手を握り返してくれたと報告がありました。まだ抱くことも出来ませんが、しっかりとママを感じてくれたことでしょう。昨日で床上げの日でした。まだまだですが、娘も体力がついて良くなっていくことでしょう。春はもうすぐそこに来ています。今の私の楽しみは、すくすく育った孫を連れて伊那の大自然の中を伸び伸びと自由に走り回らせてあげることです。